2009年1月28日水曜日
特別講義アーロン・ウールフォーク氏
2009年1月21日(水)
日米を股にかけ活躍する映画監督/脚本家アーロン・ウールフォーク氏をお迎えし、
特別講義を開講しました。
講義内容はサンフランシスコ出身のアフリカンアメリカンであるウールフォーク氏が
いかにして日本の中でも周縁に位置する高知県でハリウッド映画を撮影することになったのか、
という一種の冒険譚を聞くようなものでした。
一見なんの関係もないような組み合わせですが、ウールフォーク氏の話を聞くにつれ、
その一つ一つが運命のように結びついていることがわかっていきます。
ウールフォーク氏は様々な人種が交錯するサンフランシスコで、
幼少期から黒澤や溝口などの日本映画に親しんでいました。
やがて日本文化への関心からJETプログラムという言語教育プログラムに参加し、
高知へ英語教師としてやってくることになります。
映画監督志望の青年だったウールフォーク氏がその地を舞台に
アフリカンアメリカンの物語を紡ぎだそうとするのはむしろ自然なことでした。
ただ、その自然な道のりもそれを具体的な映画という形にするには、
恐ろしく困難な道のりを超えなくてはなりません。
ウールフォーク氏のシンプルで力強い言葉の数々はハリウッドという商業映画のメッカの中で、
どのような人間が一本の映画を撮り上げることができるのか、ということの雄弁な証明のようでした。
時間を延長して行われた質疑応答で、
学生たちからの質問に精力的に答えるウールフォーク氏の姿が強く印象に残っています。
特別講義
アーロン・ウールフォーク氏(映画監督/脚本家)
司会・進行:柿沼岳志助手
名古屋アメリカンセンター主催